2024年12月21日土曜日

躾(しつけ)から伝わる 社会での機微

朝、長野市内は雪景色となりました。

公園の木々の枝葉に雪が被(かぶ)り、白い花が咲いたよう…美しい風情となっていました。






遊園地にも初冠雪でしょうか。この後 元気な子供たちが遊びに来ることでしょう。





寒い・ツライという面はあろうと思いますが、やはり信州の冬には雪景色が似合うと思うのは、私だけではないでしょう。








◇躾(しつけ)から伝わる 社会の機微

先日、とあるスーパーマーケットの出入り口で ママと子供の姿を目にすることに。

そのシーンは、先ずは「声」から入ってきました。

と いうのも、私が駐車場にクルマを停めて店に近づく中で 相当の大きな声が耳に入ってきたからです。

その店先には、泣き叫ぶ子供と それを怒声に任せて叱りつける母子がおりました。

子供は もはや「だって、#$%&*!」と、発する言葉の中身が聞き取れないような それは大きな泣き声を上げ、片やのお母さんも「いい加減にしなさい!」と負けないくらいの大声で叱りつけています。

子供は 店先の自動ドアの真ん前に座り込んでのその騒ぎで、店内を出入りする人たちは 障害物を避(よ)けるように迂回して通行していました。

中には、あからさまに眉をひそめて通り過ぎる人も居られ…そりゃそうです、この二人のしていることは 店に出入りする人たちにとっては迷惑行為とも言えるものなのですから。




これら激しいやりとりを目(ま)の辺(あた)りにし 私もやや驚きながら店に入ったのですが、その後 何だか考えさせられてしまいました。

あの母子の様子…見る人によっては さまざまな印象をもったことでしょう。


一見的には「人前でそんなに怒らなくてもイイのに…」という印象。

「何を駄々こねているか知らないけれど、たぶん おねだりでしょ。そんなに泣くなら買ってやればイイのに」などと。

しかし、それが果たして 真にこの子のためになるのか ?

泣いて言い分が通れば、この子は「(言い方が悪いですが)この手があった」とばかりに 何か要求を通そうとする度に泣いて騒いでみせ、末は自己中心のワガママ坊主の出来上がり ということになってしまうでしょう。

一方 もしかしたらこの子は、今まで我慢に我慢を重ねてきたのに ついぞ願いが叶わないまま時間が経過し、ついにこの日 臨界点に達してしまったのかもしれません。


他方、母親にしてみれば。

子供の今後を思い、ここで甘い顔をすれば(前掲の)わがまま坊主になってしまうことから ここは心を鬼にして要求を撥(は)ねつけるのが何よりこの子のためになると叱ることにした。

または (これは考えたくないところですが)自らがヒステリックな性分で、子供の泣き声にキレて 人前も憚(はばか)らず怒鳴ってしまった。

果たして どんな思いで我が子に向き合ったのか、その深層心理は、当事者以外 知る由も無いところではありますが…。


今、家庭や学校・また職場においても「躾(しつけ)や教育や指導」と「虐待や体罰やハラスメント」との線引きが難しい状況になっていますよね。

子供に手ひどい虐待をしたのに「あれは躾(しつけ)のつもりだった」と開き直る親・生徒の将来を思って厳しく指導したら「体罰を受けた」と保護者に訴えられる教師・〝昭和時代〟の上司が新入社員に、昔の調子で高圧的な態度を取り「それはパワハラです」と第三者機関に指摘を受けたり と、どこまでが正当なものとして認められて どこからが許されざるものなのか、さまざまなケースが生じることとなっています。


また 前掲の母子にあっては、どのような社会経済環境の下で暮らしているのかも その所作に影響していることでしょう。

今や〝格差社会〟が顕著になっている中、それぞれの暮らし向きによって 例えば子育て環境も画一的には評されないところであります。


そういえば 別の日に、ある保育士さんから嘆きの声を聞いたことを思い出しました。

躾(しつけ)が儘(まま)ならない園児が居て悩みを深めていたところ、そのお母さんが運動会の日にピンヒール(踵(かかと)の非常に高いハイヒール)を履いて観戦に来園し、目がテンになった というもの…そのTPOの無さに「これは 子育ての以前に〝親育て〟をしなければならないのか」と溜息(ためいき)したというハナシで、この無躾(むしつけ)の子を叱る前に その親を躾(しつ)けなければならないのか、つまり親自身が「大人」になり切れないままに「親」になり、その未熟な親に育てられる子供に躾(しつけ)が行き届かないのは無理からぬことか…と諦(あきら)めの境地に至った というものでありました。





店先で泣き叫ぶ子供と叱りつける母親…この場面に出くわした中で いろんな事を考えさせられてしまいました。

少子化・高齢化・多様化・格差化・モラル化など 社会様態が変化を遂げる中で、私たち自身が ある意味「筋(すじ)」を通してゆかなければなりません。

我が子を真に思う心をもって、社会全体の中で暮らしてゆく。

その「心」の積み重ねこそが、真に健全な社会の原資になると思うところです。


また「叱る」と「怒る」は違う、という示唆をいただいたことがあり、このことについては また後日に触れさせていただきます。

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